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ニューアーク・ベアーズ編

「ボールパーク巡り~ニューアーク・ベアーズ編」   


私はB・マドロックに会うためにニューアーク・ベアーズの本拠地リバーフロントスタジアムを訪れた。彼は今年からニューアーク・ベアーズの監督に就任した。
私が小学生の時に彼はロッテ・オリオンズにやってきた。現役バリバリのメジャーリーガーだった。首位打者を4回も獲得している。それも異なるチームで2回ずつ。そんな打者はメジャーでは3人しかいない。ワールドシリーズも制覇している。

それほどの選手が、ある試合でランナーもいない時にセーフティーバントを試みたのだった。「あのマドロックがなぜセーフティーバントを!?」彼のあまりにも唐突なプレーが今でも私の脳裏に焼きついている。16,7年以上の前のその時の気持ちを聞きたくて私はマドロックに会おうとおもった。
 
私は、マドロックに会うためにコーチングルームに入ると、そこはごく普通の部屋だった。監督用のデスクが一つあるだけ。一応仕切られているがドアは開けっ放しで隣の部屋では選手達が雑談していた。辺りを見回し監督を見つけ、挨拶しにいった。すると、監督は広報から話がいっていたので笑顔で応対してくれた。

私が質問する前にマドロックは自分の方から喋り始めた。ボールパークの違い(川崎球場の芝はひどかったらしい)や、日本の昔の「ガイジン」について、同僚だった荘勝男投手のことなどを。私は、まず始めに
「日本とアメリカの野球の最も違うところはどこでしたか?」と聞いた。

「一番の違う点は、日本人は群れたがるところだね。ご飯を食べる時も、練習も何から何まで一緒にやる。球場も狭いがやることも狭い(当時のロッテの本拠地は川崎球場)。それに選手が自信を持ってやっていない。私がここに来て思ったのは日本より球場は狭いが、彼らは自信を持ってのびのびやっている」と答えてくれた。

自分の知っている日本のことに関してはあくまでも昔のことだと前置きしながら、日本の野球の実力は毎年毎年アメリカに近づいていると言って日本の野球を認めていた。

次に「ロッテ時代にセーフティーバントをしましたがあれは監督の指示だったのですか?」と質問した。

すると、マドロックは覚えていて「いや、あれは私の意志だ」といった。なぜかを聞こうとしたが、当時のロッテの監督の有藤氏のことを「彼はクレイジーな監督だった。」と言い、続けて「ファッキングなやつだった。」と言ったのでそれ以上は聞かなかった。そんな風に言われて「日本の野球をなめていたのか」と勝手に勘違いしていた。

しかし、試合を見てこの時の勝手な自分の思い込みが間違っていたことに気づかされた。ある1プレーで彼の勝負に対する情熱が伝わってきたからだ。そのプレーとは3回の裏2アウト1,2塁の場面。2番打者のレフト前ヒットで2塁走者がホームに突っ込んだときの判定を巡り審判に暴言を吐き退場。どう見てもアウトなのに彼は猛然と審判に抗議していた。それもまだ早い回で、そんなに興奮するような場面ではなかったのにどうしてか?なぜなら勝負に勝ちたかったからだ。波に乗り切れないチームを鼓舞させたかったのだ。(チームは25試合消化して13勝12敗で首位と5ゲーム差)

あのバントをした時も純粋に勝ちたかっただけだ。自分に自信を持ってセーフティーバントを選択したのだ。あのころマドロックは全然打てていなかったのでどうしても塁に出てチームに貢献したかったのだろう。

彼は決して日本を馬鹿にしてはいなかったのだ。その証拠に、インタビューの最後に彼は、「日本での経験はとてもよかった。また何かの形で戻りたい」と言っていた。

独立リーグの実力はお世辞にも高いとは言えない。(守備はなかなかのもの)しかし、選手たちは自信を持ってプレーしている。いつの日かメジャーから声がかかると思っている。私が、コーチングルームに入った時にある選手が「俺にインタビューか?」と聞いてきた。いつか自分もインタビューされるような選手になることを願っているのだ。そして、マドロックも次は監督としてメジャーに復帰することを夢見ているのかもしれない。左翼302フィート、中堅394フィート、右翼323フィートのこの小さな球場には沢山の自信と夢が詰まっていた。


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